今回のゲストは、四季折々の風景を描き続ける日本画家・澁澤卿氏。東京藝術大学のデザイン科で有元利夫らと共に学び、デザイナー勤務を経た後に、出家。現在は、日本きっての風景作家として知られている澁澤の、日々の制作とホンネに本江氏が迫る。
澁澤 遠いところまで、よくお越しくださいました。
本江 何度かお会いしたことがありましたが、じっくりと話をすることがありませんでしたね。今日はよろしくお願いします。それにしても、素敵なご自宅ですね。とても味のある和風建築で…。
澁澤 南画風の絵が玄関にあったでしょう? あれ和田三造の作品なんですよ、大伯父の。
本江 そうなんですか。ご親戚だったなんてまったく知りませんでした。そういえば、澁澤さんは東京藝術大学のデザイン科出身ですよね。有元利夫さんとも同世代で大藪雅孝教室だったとお聞きしています。
澁澤 油画科に行くつもりだったんですけど、「男たるもの食えない仕事はするな」と親父に反対されまして…。で、当時まだ元気だった和田三造を父とともに訪ねたんです。そうしたら、「これからの時代はデザインが重要になる。まずはその勉強をして、それでも絵がやりたいなら描けばいい」ということになって…。もともと、芸大のデザイン科をつくった人だったんです、和田三造は。
本江 確か日本標準色協会(後の日本色彩研究所)を創立したのも和田三造ですね。『南風』(東京国立近代美術館所蔵/明治40年)が代表作として有名ですけど、映画の世界でも色彩や衣装のデザインが国際的に高く評価されています。
澁澤 『地獄門』で1954年のアカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞し、カンヌでもパルム・ドールをもらっていますが、平安時代の色彩の再現が評価されたらしいですね。
本江 晩年は日本画にも取り組んでいます。そういった意味でも澁澤さんと和田三造の縁は興味深いですね。そういえば、澁澤さんは渋沢一族の方だという噂がありますけど、それは本当ですか?
澁澤 現在は蛇行した利根川によって遮られていますが、もともと渋沢栄一が出た埼玉の村と私が育った群馬の村は同じひとつの村だったんです。それで、栄一が実業界に身を置き始めた頃に親族も上京して、それぞれに会社を分担して手伝ったんです。
本江 渋沢栄一は、19世紀末から20世紀にかけてたくさんの企業の設立に関わっていますね。澁澤さんのご先祖は何をされていたのですか?
澁澤 信州のリンゴを韓国に持っていって、大邱(ルビ→たいきゅう)リンゴという品種のリンゴを作っていたんです。
本江 現在のデグですね。
澁澤 戦争に反対していた栄一の考えで、〈土地を買って商売をすること〉が一族に申し渡されたと聞いています。
本江 じゃあ、韓国生まれなんですか?
澁澤 いえ、京都で生まれました。いよいよ敗戦の色が濃くなってきた頃に、両親が引き揚げた先が京都だったんですね。
本江 74年に芸大を卒業して、その3年後に出家されています。制作を中断してしばらく修行に専念されたということですが、その頃はどのようなことを考えていたのでしょうか?
澁澤 絵を続けられるので坊主になろうと思ったんです(笑)。初めはとても不純な動機でしたが、実際にその世界に入って、直接宗教に触れてみると、現代の絵画に足りないもの、絵描きの心の中からいつの間にか失われてしまったものに気づかされました。
本江 それは何でしょうか?
澁澤 一言で言うと〈宗教心〉ですね。
本江 もともと絵画の根本にあったものですね。そこから絵画が始まったといってもいい。修行中、どんな出来事があったのでしょうか?
澁澤 信者さんが跪いて拝むんですよ、まだ修行中の私の汚い衣を持って…。とても驚きましたし、もっときちんと宗教を勉強しないといけないと思いました。絵画とは感動のレベルが違うとも感じましたね。このままではとても敵わないと。本江 いくら絵に感動するといっても、拝んだりはしませんものね。つまり、宗教心を学ぶことが現在の澁澤さんの出発点だったわけですね。ところで、当時はどんな作品を描いていたのでしょうか?
澁澤 アバンギャルドな作品を描いていました。あとは墨を使った抽象的なものですとか。仏門に入る前に髙島屋の宣伝部にいて、デザイナーとして勤めながら銀座で個展をしたのですが、女性の体を拓本にしたりね…。かなりの問題作だったので、警察に逮捕されるのを覚悟してました(笑)。
本江 それは意外ですね。現在の仕事とは、まるで逆だ。
澁澤 宗教との結びつきを意識するようになってから、どんどん具象に変わっていきました。心の奥底で感動できるようなものを目指すべきと考えたんですね。
本江 コンテンポラリーアートがもてはやされていた時代ですから、批判的な見方をされたでしょうね。
澁澤 あるものをそのままに描くと、なぜか造形力がない=〈写真みたいな絵を描いている〉ということになってしまう。しかし、歴史に残る絵画のほとんどは具象ですよね。同じテーマで描いても、優れた作品は残るし、そうでないものは残らない。ただそれだけのことだと思うんですけどね。
本江 何かの記事で「風景には削るものはない」とおっしゃっています。面白い考え方だなと思ったんですけど…。
澁澤 現在の風景は、描きたいものを中心に持ってきて、まわりを省略したり、ぼかしたりするものが多いですよね。
本江 特に日本画に多いですね。そうやって目線を集中させるような絵が。
澁澤 僕の場合は逆で、何も省かずにメインとなるものに自然と目が行くように絵を作り上げているんです。たとえば、王様が狩りをする西洋の絵があったとします。画家は王様をメインに見せたいわけですが、獲物や猟犬も王様を見せるための布石としてとても大切なわけです。
本江 確かに澁澤さんの絵は、細部まで力を抜かずに描きこまれています。神様による被造物だから、同じように克明に写し、賛美する…。フランドル派と同じともいえますね。そこに具象絵画本来の意味があるのではないでしょうか。
澁澤 安易に省略せずに、構図を工夫することによって、見る側を引き寄せる。写真にはない絵画の醍醐味や面白さは、そこにあるんですよね。
本江 デザイン科出身の画家に何か特徴がありますか?
澁澤 キャンバスの形や大きさにとらわれずに構図を考えたり、表現できることだと思いますね。それに、画材に対しても比較的自由ですね。画面にキチンと定着しさえすれば、何も伝統的な技法にこだわる必要がない。そう考える作家が多いと思います。
本江 話は変わりますけど、アトリエは西洋風ですね。
澁澤 空間表現をしますので、イーゼルの方が描きやすいんです。
本江 画材は何ですか?
澁澤 支持体はキャンバスで、絵具はアクリルと岩絵具を使っています。あとは墨ですね。墨を使って空間表現をしています。
本江 澁澤さんが描く風景って、絵の中にスッと入っていける感じがしますよね。距離をとってみる絵じゃなくて…。よく見ると、とても不思議な感じがします。それも墨の効果なのかもしれませんね。実際の取材はどうするのですか。やはり現場でスケッチを取るのですか?
澁澤 あまり現場に長くいたくないタイプなんです。長くいると、余計なものまで見えてきてしまって、絵にするときに逆に邪魔になることがありますので…。見た瞬間の感動も大切にしたいですし、どうやったらいい絵になるのか、紅葉を増やせばいいのか、朝日が上がってくる感じがいいのか…。そんなことをその風景が自ら語ってくれさえすれば、取材はそれで充分だと考えています。
本江 部屋を暗くして、ライトを当てて描いているんですね。
澁澤 太陽光を再現したライトを二つ当てて描いています。ひとつ8万円もするんですよ。でもこのライトじゃないと、夜中に仕上がったはず作品が翌朝見ると別の作品になっていることがあるものですから(笑)。
本江 日本画とはマチエールが全く違うのと、空の色とか壁の質感が、何とも言えずいいですよね。
澁澤 初めに胡粉で覆っておいて、後で墨を被せて洗い流すんです。すると反転して、奥行きがぐっと出るんですね。壁や水の質感も同様ですが、これは和紙ではできない表現ですね。
本江 四季折々の風景を描かれていますけど、テーマとしては秋が一番得意なんでしょうか?
澁澤 いえ、秋の風景が描けるようになって実はまだ十数年なんです。朱(あか)の中に墨を入れるとどうしても濁ってしまうんですね。それを華やかに見せるために、かなりの試行錯誤が必要でした。
本江 大変だったでしょうね、先人がいないわけですから。ところで澁澤さんは2002年に上海美術館でも展覧会をされていますが、どんな評価でしたか?澁澤 やはり秋の風景が特に高く評価されたようです。水墨画では不可能な表現ですので、特に現地の画家たちが驚いていたみたいですね。
本江 日本での発表とは、何が一番違ったのでしょうか?
澁澤 中国の人は、僕の作品を水墨画として見るんですね。それが一番大きな違いです。日本ではまずないことですから。
本江 そうでしょうね。かねてから澁澤さんの風景画ってどこか中国的だと感じていたんですけど、お話を聞いて納得がいきました。なるほど、澁澤絵画の奥には水墨が隠されているのですね。
本江 ロンドンやパリでも個展をなさっていますね。こちらはギャラリーですから、当然絵を販売したと思うのですが、売れましたか?
澁澤 そうですね。半分近くは現地で売れたんじゃないでしょうか。やはり水墨画のひとつとして認識されていたようですね、ヨーロッパでも。向こうにはない表現ですから、それが受けたのかもしれませんね。
本江 それにしても半分売れたというのは凄いですね。箔をつけるために行く人は多いようですけど、作品がたくさん売れるような日本人作家はいなかったんじゃないでしょうか。それに、ロンドンのルフェーブル・ギャラリーは、歴史のある老舗ですよね。それがまた凄い。
澁澤 日本人にしか好まれない絵では駄目ですよね。絵画に限らず芸術というのは万国共通のものですから、他の国でも同じように評価されなければ、普遍的なものとはいえないと思いますね。
本江 売れることは大事ですか?
澁澤 それがすべてではありませんが、褒めることと買うことの間には、とても大きな差があるように思います。もちろん、売れそうな絵を描くことが大事なのではなくて、作品にどこまで気持ちを込められるかが最も重要なことだと思いますけど…。
本江 ただ褒められて満足しているようでは、プロの作家とはいえない。
澁澤 と思いますね。ただ、絵が売れるようになると、なぜか評論家には嫌われてしまうのですが(笑)。
本江 褒めると、褒めた責任のようなものが生じて、結果的に買うことになる。だからあまり褒めないんですよ。もっとも澁澤さんの絵は高価だから買えませんけど(笑)。
澁澤 値段が上がるに従って、それなりに絵も良くならないとルール違反だと僕は思います。どんなに頑張っても、画家が絵を描けるのなんて40年とか50年ですよね。一生懸命にやればどんどん上手くなるはずですし、晩年なってようやくその作家の絵が完成するわけですから、絵を買ってくださる方、良いと言ってくださる方の気持ちを忘れずに、切磋琢磨することが画家のつとめだと思いますね。
本江 絵画の中に宗教心を取り戻すことが、ご自身の仕事であるという話が先ほど出ました。今年は震災もありましたので、芸術の世界でもとくに人間の心の問題が重要視されたとも思うのですが、社会における現代の絵画に関して、澁澤さんはどのように考えていらっしゃるのでしょうか。
澁澤 目に見える表面的な美しさだけで絵画を表現しても、人間の心を動かすことはできないと思います。祈りとか、心の救いといった内面的なものを絵の中に表すことが出来なければ、さまざまなメディアが発達した現代においては、絵画ならではの存在意義というのは弱まってしまうでしょうね。
本江 メディアアートが主流になってくれば、ますますそうかもしれませんね。
澁澤 最先端のアートに対抗したり、それをそのまま平面に置き換えるような絵が最近は目立ちますけど、画家は絵画でしか表現できないものに取り組むべきとも思います。小さく区切られた一枚の絵の中にストーリーや世界観を創造できるのが絵画の本質。そこに心を託していかなければ絵画の未来はないと思いますね。本江 つまり、絵画というのは、二次元という極限の次元ということですよね。そこにすべてがある。
澁澤 絵の中に自然に入っていけて、ここを歩いてみたいとか、どんな感じだろうかとか、見た人にそう思ってもらえるような絵を描きたいですよね。日々のさまざまな生活感情にも寄り添えるようなゆとりを同時に表すことができれば、いつまでも飽きずに飾ってもらえると思いますし、小さな枠の中に収まったものでも、絵の中にある広い世界を想像してもらえる。それこそが、絵画ならではの魅力だと確信しています。
本江 仏門での修業が絵の中にそのまま活かされているんでしょうね。自己満足的な表現ではなくて、絵を見る人を安心させたり、絵を見る人の気持ちを大切にした作品を描くことが澁澤さんの理想だということが、よく分かりました。今日は有難うございました。
しぶさわ・けい 1949年京都府生まれ(出身・本籍は群馬県伊勢崎市境)。74年東京藝術大学工芸科デザイン専攻卒業。77年出家得度して日蓮宗僧侶となり、修行に専念(〜81年)。個展を重ねながら山種美術館賞展、バーゼル・アートフェア、現代日本の屏風絵展等に出品。02年日中国交30周年記念―日本画家澁澤卿画展(中国上海美術館)。日本画無所属。日蓮宗教師