東京藝術大学卒 日本画家 澁澤卿の軌跡

Diary 2011年02月28日

庭の梅が満開になり野良猫が夜な夜な奇怪な声を上げて走り回る季節がやってきました。餌を与えるだけで飼い主としての責任を持たない住人が我が家の近辺に野良猫を増殖させてしまっているのです。日が当たる我が家は心地いいのか猫たちの昼寝とトイレの場所となり、猫の糞と尿は異臭を放ち又、尿を掛けられた庭の草花は枯れてしまいます。猫たちが悪いわけではないので姿を見たら追い払うしかありません。我が家のミニチュアシュナウザーも年を取り目と耳が悪くなり今では猫に馬鹿にされ私の手助けにはなりません。猫を虐めている自分の姿は嫌なものですが庭と綺麗な空気を守る為いたし方ありません。山には横穴が幾つか空いているため雨露を凌げて猫たちにとっては住みやすい環境にあるのでしょう。せめて餌を与えなければ頻繁に繁殖することもないと思うのですが。

昨年暮れの挨拶でこの秋群馬のスズラン百貨店で9月に個展を開催する予定と記載いたしましたが都合により来年2月に変更になりました。来年の壁掛け、卓上カレンダーの原画を中心に展開いたしますので群馬の方は暫らくお待ちください。スズランの先代社長さんの依頼で私がはじめて群馬で個展を開催しました1994年から今日まで個展開催を仕切ってくださった登坂外商統括部長が今年1月に定年で職を退きました。小さな身体から発するオーラは全ての外商部員を震え上がらせたものです。私の個展をはじめ多くの作家の個展を成功させてスズランの美術部を全国に知らしめた功績は偉大なものです。一緒に飲んだ日々が懐かしく思い出されます。来春の個展には彼の小さな豪傑の勇姿が会場にいないと思うと心細い思いがしますが私をはじめ残された美術部・外商部の面々で今まで以上に良い展覧会にして見せようではありませんか。群馬のコレクター並びにファンの皆様もお力添いをよろしくお願いいたします。登坂氏とは次回は旧友として杯を交わすのを楽しみにしています。

3月12日

日本列島が大地震に襲われました。皆様はご無事でしょうか?何事もないことを祈念いたしております。また被災地の皆様にはお見舞い申し上げます。私は11日ちょうどその時刻に家内と千葉にゴルフに出かけ帰りの車の中でした。細い道で大きく揺れて全ての車が停まりました。ちょうど古いトンネルの中で停まってしまったので崩れてこないかと不安が襲いました。高速もアクアラインも通行止めになってしまいしかたなく東京湾を半周して帰らなければならなくなりました。鎌倉からアクアラインを使うと1時間と少しで行けるので普段は千葉のゴルフ場は我が家からは近いほうに属します。ガソリンを満タンにして一本道の国道に入るとすでに渋滞。それも一時間に数百メートルといった状態です。ひどいときには全然動かない時もありました。市原にさしかかると目の前に黒煙が立ち上っていました。コスモ石油のタンクが燃えていたのです。ちょうど真横に来たときバーーンという大きな音がしたとたんに、あたり一面が朝日を浴びたように明るくなり車が震動しました。見ると巨大な真っ赤なきのこ雲が空に向かって伸びていました。原爆が落ちたのかと思うほどすごいものでした。不謹慎ですがそれは本当に綺麗なものでした。その後も次から次へと爆発してまるで戦争の中に身を置いているようでした。前後ろにはさまれた車の中で逃げ場もなくただ傍観しているだけでしたが。その後も亀より遅く12時を過ぎても20キロ先の千葉の町までもたどり着きません。2時になってさすがに疲れを感じたので千葉市のホテルを尋ねたのですけどロビーに毛布をかぶった人々が溢れていて部屋が空いているはずもありませんでした。仕方なく再び出発。横に車の走っていない高速道路を恨めしく見ながらちんたらと進んで、どうにか開通したての首都高速1号線に乗れたのが朝の6時半。17時間かかってどうにか鎌倉に帰ってきました。私の体験など被災された方々に比べたら記載するにも当たらないでしょうが、こんなに長い時間運転していたことは生まれて始めての体験でした。車から降りると余震で揺れているのか車酔いなのか分かりませんが身体がふらふらと揺れていました。一眠りしてテレビで災害のひどさを見て自然の力に人間の無力さを痛感させられました。被災された方もそうでない日本人も復興に向けて各自が出来ることを一生懸命にやっていきましょう。