多発性骨髄腫闘病中の6月に中国政府より受賞の内定を受け受賞記念として中国人民対外友好協会(日本で言う外務省)内にあり普段は国宝級の美術品が展示されている「友誼館」に於いて個展を開催して欲しいと依頼がありました。医者に相談しましたところ11月ならなんとか治療が終了しているだろうとのことで11月3日にオープニングセレモニーと受賞式を執り行うことになりました。日中国交正常化30周年を記念して上海美術館で個展を開催して5年、このたびは日中国交正常化35周年記念「日本画家澁澤卿個展」として開催することとなりました。中国とのパイプ役は上海展の時にもお世話になった張瑜(日本名相澤友子)さんです。北京サイドでは、私が入院中も女史の献身的な努力のお陰で着々と展覧会の準備が進められてきました。そして9月に退院してきてから私による日本サイドの展覧会の準備が始まりました。初め訪中団の申し込みは118名にもなっていましたが身体の不調や仕事の関係で20名ほどキャンセルが出てしまい、11月2日、美術評論家の千足伸行先生を団長としてファンの皆様とそのお友達やご家族、私の作品を扱ってくださっている美術商の方々、美術雑誌「月刊美術」の社長さんと編集長、親戚の皆さんと総勢98名の訪中団の皆様が成田空港と関西空港より北京に向かって飛び立ちました。
朝から秋晴れに恵まれ宿泊先の北京飯店から広い路を挟んだ正面に位置する中国人民対外友好協会に徒歩で向かいました。友誼館は昔イタリア大使館として使われていたことがあり、隣接する当時教会として使っていた建物でオープニングセレモニーと授与式が執り行われました。中国人民対外友好協会、日本国駐中華人民共和国大使館、中国美術館、日本中国友好協会、中国文化部、中国著名画家、中国雑誌・新聞社などから来賓が多数列席する中、滞りなく厳粛に展覧会のオープニングの式が進み次に、中国人民対外協会副会長より「和平発展貢献賞」の賞状と盾が私に授与されました。中国政府から外国人が頂ける最高の賞とのことです。過去に世界中で数社の会長が受賞しているそうですが個人で、それも芸術分野の功績での受賞は初めてのことだそうです。賞というものに無縁の芸術道を歩いてきましたので、私にとっても始めての受賞です。最初にこんな大きな賞を頂いてしまって光栄に思います。宗教家でもあり、国境のない芸術の世界に身を置く私としては「和平発展貢献賞」を外国から頂くことはこの上ない喜びです。これからも平和を愛する日本の心を世界に伝えていけるよう日本の心を込めた良い絵を画いていけるよう精進していくつもりです。
展覧会を皆様に観ていただいた後、中国人民対外友好協会の迎賓館において歓迎の宴が開かれました。中国人民対外協会副会長より私と訪中団の皆様に温かい歓迎の言葉を頂き楽しい宴が始まりました。宴会の後、バスで琉璃廠という筆や墨画集などを専門に扱っている古い町並みの商店街に行って皆様自由に散策し、また北京の銀座にあたる王府井という商店街でショッピングをしたり足裏マッサージに行ったりと北京の町を自由に散策いたしました。夕食は北京ダックです。どのテーブルも美味しい料理とお酒を充分に召し上がって話も大いに盛り上がりました。
朝から晴天になり思ったより暖かく、バスに乗り一時間ほどで着いた万里の長城の坂道を歩くと汗ばむほどでした。一時間の散策でしたけど元気な方は随分と遠くまで歩いてきたそうです。昼食は市内に帰り西太后の食事を一部再現した倣膳です。身体に良い薬膳料理が主流でした。その後故宮紫禁城の見学です。天安門広場から歩いて2時間半、故宮の裏口までガイドの説明を聞きながら歩きました。それからホテルへ帰り着替えをして夕食の宴は憧れの人民大会堂です。ライトアップされた人民大会堂の正面にバスが着きました。近くで見ると何と大きな建物でしょう。エンタシスの柱が暗い夜空に突き刺さっているようです。貴重な招待状を手に持って厳重な検査をされて中に入ります。真紅の絨毯が作る道を通ってエレベーターに向かい宴会が開かれる「マカオの間」に向かいます。白い中にマカオの建物をあしらった明るい部屋の中で私の謝辞と千足先生の乾杯で宴が始まりました。さすがに国賓に出される料理は一味も二味も違いました。美味しいマオタイの力も加わって大変いい気持ちで時を過ごすことができました。あの雰囲気と料理は訪中団の皆様も充分に満足されたことと思います。
訪中団の皆様は早朝空港に向かい無事にご自宅までお帰りになりました。
あっという間の北京旅行でしたけど私にはすばらしい思い出に残る四日間でした。