東京藝術大学卒 日本画家 澁澤卿の軌跡

Diary 2007年07月

すでに学校は夏休みに入って海の家もオープンしているのですが鎌倉はまだ夏らしい日がやってきません。もう少ししたらきっと暑い夏がやってくるのでしょう。皆様もお体に充分注意されてお過ごしください。先日私の住所録に登録されておられる方々には今年11月に開催されることになりました北京の外務省内に建っています友誼館においての個展に同行していただくツアーと2009年春に開催されます北京・中国美術館における「日本画家澁澤卿回顧展」に同行していただくツアーのご案内を出させていただきました。11月のツアーには93名もの申し込みがあり予想をはるかに上回る人数に旅行会社JTBと企画をしてくれました(株)聚友国際交流とあたふたと調整をしております。この展覧会のオープニングレセプションには中国政府より芸術賞をいただけることのなりその授与式もある予定ですが、11月にツアーから賞を頂いて帰ってきましたら感想を書きます。まずは参加申し込みしていただきました皆様にこころより感謝いたします。楽しい旅行になるように努力いたします。2009年春のツアーにも沢山の方々から申し込み頂きました。まだ先の旅行ですのでこれから先来年秋先まで申し込みを受け付けますのでおはがきなりメール・電話で申し込みください。

実は……今年元旦に恒例の除夜の鐘を突いて年越し法要をすませて家路に着いた折、車の助手席下に落ちた鎌倉に入る通行証をとろうと手を伸ばしたところポキポキと音がして左肋骨を二箇所折ってしまいました。やっと治癒したころ再び右下に手を伸ばして再び右肋骨を折ってしまいました。これは異常だと思って検査したところ多発性骨髄腫と告知されてしまいました。血液が骨を犯していく癌です。インターネットで調べると余命3年。1週間ほど仕事が手につかないほどショックでした。すぐに大学病院に入院して抗がん剤の治療が始まりました。健康だけを自慢にしていた私にとって始めての病院生活でした。抗がん剤治療のあとは大量のステロイド系の薬の投与です。4日間続けて服用して少し休むという繰り返しで徐々に身体に薬が残り副作用に悩まされました。5月下旬にこの治療も終わり自家造血幹細胞移植という治療のために造血幹細胞を採取しなければなりません。抗がん剤で白血球を下げ薬の力で勢いよく白血球の数を上げて造血幹細胞が沢山血に混じって身体を回ったところで血液中から採取するのです。一度目の試みでは抗がん剤が効きすぎて白血球が100を割ってしまい高熱が続き採取を諦めました。2度目のトライで無事に移植に必要な量の細胞を採取することが出来ていよいよ治療の最終段階の自家造血幹細胞移植のため7月30日より1ヶ月間の入院です。ガラス張りの無菌室に閉じ込められて抗がん剤で血液を完全に殺した後で採取して保存しておいた細胞を入れて血液を作り直します。うまく成功して退院してきましたら徐々に健康な身体に戻ってくるだろうと主治医の先生は言ってくれていますのでご安心ください。頑強な体力と現代医学に感謝です。一度は長くて3年と諦めていた命の炎が再び燃え上がって絵を画くことが続けていけると思うと30日からの苦行も仏様が与えてくださったものと感謝して受け入れることが出来ます。この行を満行して得られた悟りはきっとこれからの私の絵にも何らかの変化をもたらすものとおもいます。

9月に入りこの「ひとこと」の蘭に嬉しい復活の文章が載せられることを信じて入行してきます。